Sustainable Life in this Society

うつ病を通して人生と価値観を考え、その過程を記録していきます。

うつ病発症までの経過とその対応について(1)

私が正式にうつ病と診断されるまでの間に、いくつもの体調の変化がありました。今思えばその一つ一つが身体から発せられる危険信号だったと思います。しかし当時の私はうつ病の知識がなく、ましてや自分がうつ病患者になるなんて思ってもいませんでした。

その体調の変化をすべて誤魔化し、身体にムチを打って仕事を続けた結果、誤魔化しの効かないほどに悪化し、心療内科を受診し、うつ病の診断を受けることとなりました。

この記事ではうつ病の診断を受けるまでの体調の変化を時系列で記録することで、身体から得られたシグナルとその時とった私の対応を整理したいと思います。

 

2012年11月頃

原因不明の頭痛、胃痛、睡眠中に目が覚めるほどの脇腹の痛み、腰痛、肩こりがありました。腰痛、肩こりはデスクワークによる姿勢の悪化、長時間労働による運動不足が原因であろうと予想がつきましたが、頭痛、胃痛、脇腹の痛みは見当がつきませんでした。

強いて言えば仕事のストレスのはけ口として、毎週末大盛りのラーメンを食べることを楽しみにして、コーヒー、煙草を常飲していたので消化器はダメージを受けていてもおかしくありません。

いずれにせよ身体のあちこちが異常を訴えてきたので最寄りの大病院で外来受診し、検査を申し出ましたが「疲れているだけじゃないか。しっかり休養をとること」と門前払いされてしまいました。

 

この頃の業務は経営陣へのプレゼンテーションを準備しながら新入社員の教育、さらに非常にタイトなスケジュールを組まれた通常業務を平行して行うことが求められていました。

経営陣へのプレゼンテーションは大掛かりなもので、例年であれば通常業務を免除されて準備時間を用意することができるのですが、この年は全く考慮されませんでした。業務は危険が伴うため、新入社員教育も疎かにする訳にはいきませんし、ステップアップを考慮したスケジューリングも必要です。さらにタイトな通常業務は業績達成の大義の元、通常の1/4ほどの時間でこなせとの指示でした。

定時までは新入社員の指導と通常業務の進行、定時で新入社員を退社させたら次の日の作業の段取り、本丸のプレゼンテーションや通常業務のツメは21時以降に行うこととなりました。

それでも上司からは「なんだこの残業時間は。なんとかしろ」と叱責され、やむを得ず休日にこっそり出社してスケジュールの遅れを取り戻す始末でした。時間外労働時間は平日で平均4時間、週末の自主出勤を合わせればゆうに100時間を越えようとしていました。裁量労働なので時間に応じた残業代は支給されません。

それでもまだ若く、体力のあった私はコーヒー、煙草、エナジードリンクを常飲し、自分の無力さに悔しさを覚えながら、一方で業務が自分に集中している、自分は職場に頼られているという感覚に一種の充実感のようなものを感じていたと思います。

 

そんな抑圧された平日をなんとかこなすと週末はタガが外れたように全力で遊び回り、周りの友人にも心配されるほどでした。この頃の私は「平日は俺の人生じゃない。週末だけが俺の生きている時間なんだ」と考えており、週末を休養に当てるなんて考えもしませんでした。

しかしそんな生活が続いたある日、いつものように突貫工事で作成した会議資料に誤字脱字、データの抜けが多数見つかり、同僚や上司からも「お前がこんなミスするなんて珍しい」と言われました。同僚に比較して専門知識や技術で抜きん出ることが難しい分、データ整理や資料の作成には人一倍気を遣っていて、自分でも得意だと自負していたのですが、信じられないようなミスをたくさんしていました。

前述したような全く余裕のないスケジュールで昼休みも食事をかき込むだけ、休憩時間もほとんど取れませんでした。すると夕方ごろ、一時的にふっと何も考えられない、全く集中できずに惰性でパソコン操作をしているだけ、という時間ができるようなっていたのです。

それでもまだ若くて体力があったのでしょうか。仕事の忙しさが落ち着き、プライベートも充実し始めると、それまで訴えていた身体の異常も落ち着きました。

なんだ、ちょっと疲れてただけじゃないか。そう振り返る事すら忘れる頃、職場の組織改編がありました。